いずみいずみ

今回は画像と文字で振り返る「千と千尋の神隠し」の世界です。お楽しみください♪

なんとも不思議で、そしてあたたかい。10歳の千尋目線で描かれた「千と千尋の神隠し」の世界を、物語のあらすじを追いながら紹介します。「そうそう、こんなだったー!」と、懐かしく思い出し、きっとまた映画を観てみたくなりますよ!

ラストについての考察やアメリカ人評論家による感想もあります。

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「千と千尋の神隠し」名場面で見るあらすじ

トンネル

千尋たち親子は、トンネルの向こうに奇妙な空間を見つける

小学4年生10歳の千尋が、両親といっしょに車で引っ越し先の家に向かうとちゅうから物語はスタートします。

千尋、友だちと別れたのが悲しくて、後部座席に寝ころがりすごいぶーたれてます。もともとあまり目鼻立ちの通った方じゃない顔なのに、さらにこんな表情でほとんどへちゃむくれに見えてますね(笑)

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山道に迷い込んだ車は、目の前に現れた朱塗りの壁の建物に道をはばまれ止まります。その建物の真ん中にあいたトンネルに入ってゆく両親。千尋は行くのを嫌がりますが、ひとりとり残されるのも嫌で、けっきょく一緒にトンネルをくぐります。

トンネルの先には原っぱが広がっています。お父さんは

「やっぱり間違いないな。テーマパークの残骸だよ、これ。

90年頃にあっちこっちでたくさん計画されてさ。バブルがはじけてみんな潰れちゃったんだ。これもその一つだよ、きっと」

とひとり納得しています。

 

そういえば、うちの近くにもあります、そういうテーマパークの残骸。今は高層マンションになってます。あそこも一種、奇妙な空間ですね。

父と母は?

ここで、ふいに食べ物の匂いをかぎつけるお父さん。ずんずん進んで無人の街にたどりつき、さらに食べ物の並んだお店も見つけます。お父さんもお母さんもお腹がすいていたのか、カウンターに座って勝手に食べ始めます。

お母さん「いいわよ、そのうち来たらお金払えばいいんだから」

お父さん「大丈夫、お父さんがついてるんだから。カードも財布も持ってるし」

お母さん、かなり自分勝手できつい感じです。お父さん、けっこう適当な人っぽいです。

千尋は食べるのを嫌がり、あたりを散策にでかけます。遠くに油屋の建物を見つけたところでハク登場。

「ここへ来てははいけない。すぐ戻れ!」

「じきに夜になる。その前に早く戻れ!」

命令口調のハクにムッとする千尋。

両親の元にもどってみると、なんとそこには豚になった両親の姿が!

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じつはここは八百万の神々が集まる世界で、この食べ物は神さまのための食べ物だったのです。それを無断で食べたため、両親は豚にされてしまったのです。

でもそんなことはなにも知らない千尋はパニックになって、そこから逃げ出します。千尋自身の姿も半透明になり、消えかけています。そこにまたしてもハクがやってきて、千尋を助けてくれます。

ハクどん

「怖がるな。私はそなたの味方だ」

「口を開けて、これを早く。この世界のものを食べないとそなたは消えてしまう」

「大丈夫、食べても豚にはならない。噛んで飲みなさい」

この後、湯婆婆の手下の湯バードが上空を飛んでいるのを見つけて千尋をかばうハク。

有名なハクの壁ドンシーンです。ハク、イケメンすぎます!

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ハクは千尋を油屋につれて行きます。油屋は、湯婆婆という名の魔女が主人をつとめる八百万の神々が湯治にくる温泉宿。ここでは仕事をもたない者は湯婆婆に豚や石炭に変えられてしまいます。千尋はハクの忠告にしたがい、6本の長い手を自在に操るボイラー室の釜爺(カマドウマからイメージされている?)に会い、さらに釜爺の助言にしたがい油屋の一番上の階にいる湯婆婆に仕事をもらいに行きます。

湯婆婆と契約を交わし、油屋で働くことになった千尋は本名のうち3文字を奪われ「千」と名づけられます。湯婆婆は本当の名前を奪って支配する魔女なのです。

最初の頃の千尋は自主的に動こうとせず、なんでもかんでも「嫌、嫌」と嫌がってばかりの少女です。いつも腰がひけていて、細い脚でよたよた走ります。それがわけのわからない世界に迷い込んで、頼りないながらも湯婆婆と契約を交わし、働き始めます。

「そなたの味方だ」と言われて頼りにしていたハクにも

「無駄口をきくな。私のことは、ハク様と呼べ」

なんてぴしゃりと言われて傷つきます。

もちろんこれは、他の者たちの目をはばかっての態度なのだけど、そんなこと千尋には分かりません。

朝になり、湯婆婆が油屋からどこかに飛び去り、従業員たちが寝静まった頃、ハクが千尋のところに来て「お父さんとお母さんに会わせてあげる」と連れ出します。

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さまざまに花の咲き乱れる油屋の庭。ツツジ、梅、シャクナゲ、沈丁花、萩、アジサイ。どの季節の花も満開です。ここが現実の世界ではないことを象徴的に表現していますね。

豚たちを見て、ハクにおにぎりをもらって食べて、優しい言葉をかけられて、思わず千尋は泣きだします。

ずっと緊張の連続だったけれど、それが緩んだのでしょう。

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それでも最後にはこう言います。

「ハクありがとう。わたし、がんばるね」

前の学校の友だちからお別れにもらったカードを見て、千尋は、自分は「千」ではなく「千尋」なのだと思いだします。でも、ハクはどうしても自分の本当の名前を思いだせません。

ハクもまた、湯婆婆に名前の一部を奪われているのです。本当の名前が思いだせないと、元の世界に帰れないようです。

 

働き始めた千尋。油屋にはさまざまな客がくる

あたりは雨。

千尋は雨の中、庭にたたずむカオナシを見つけ、お客だと思って室内に招き入れます。

頼りないながらもなんとか働く千尋。そんな千尋をおもしろがって、従業員たちも湯婆婆も、大変な仕事を押しつけてきます。腐れ神と呼ばれるすさまじい悪臭を放つどろどろしたものに覆われた神さまがやってきて、千尋はその神さまの世話係を命じられます。必死にお世話する千尋。しかしその腐れ神、どうやら名のある大河の神さまだったらしく、さいごにはすっきりとした顔で去っていきます。千尋は大河の神さまから苦団子を受け取ります。大河の神さまの去った後には砂金が残り、従業員たちは大喜びします。

その頃ハクは、湯婆婆のいいつけで双子の姉の銭婆から魔女の契約印を盗みに出かけます。しかし銭婆に見つかり盗んだ契約印についた呪いを受けて、ハクは瀕死の状態に。

翌日、まだ湯婆婆が起きてくるまえの油屋は大騒ぎ。砂金をばらまくカオナシを上客と思い込んだ従業員たちが、カオナシを酒や食べ物でもてなします。

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砂金に興味のない千尋はひとり従業員部屋にもどっていて、そこでたくさんの式神に追われる白竜を見つけます。千尋の口から思わずこんな言葉が飛び出します。

「ハクーっ、しっかりーっ!こっちよーっ!」

言ってから竜を「ハク」と呼んだことに、自分で驚く千尋。湯婆婆の部屋に行ったらしいハクを追い、自分も上の階に行こうとして千尋はカオナシの前に出ます。

以前、千尋に優しくされたカオナシは気を引こうとして千尋の前に両手いっぱいの砂金を出して見せます。けれど、千尋は砂金に興味を示さず、上階に行くためさっさと姿を消します。千尋の気が引けないのが悔しくて手近な従業員を飲みこみ暴走するカオナシ。

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湯婆婆はカオナシをなんとかするため下の階に降りてゆき、代わりに式神に化けてついてきた銭婆が姿を現します。銭婆は湯婆婆の双子の姉の魔女。そういえば、銭婆と湯婆婆から「婆」を取れば「銭湯」になるんですよね! 銭婆は湯婆婆の息子の坊をネズミに、手下の湯バードをハエに変えてしまいます。

湯婆婆の部屋にあいた穴からもんどり打って落ちる千尋と竜のハク。落ちた先は釜爺のいるボイラー室でした。瀕死の重傷のハクに、千尋が大河の神さまからもらった苦団子を食べさせると、ハクは銭婆から盗んだ契約印を吐きだし、ようやく人の姿にもどって気を失います。

千尋はハクを助けたい一心で銭婆に会いにいく決心をします。

「釜爺さん、わたし、これ、湯婆婆のお姉さんに返してくる。

返して、謝って、ハクを助けてくれるよう頼んでみる」

この頃になると千尋の顔つきは、車の後部座席にひっくり返っていた冒頭とは別人のようです。見開いた目を相手の顔にしっかりと向けて話します。

客室ではますます巨大になったカオナシが、千尋のご機嫌を取ろうと砂金を出します。ハクのため銭婆の家に急いで行きたい千尋は

「わたしを食べるなら、その前にこれを食べて。本当はお父さんとお母さんにあげたかったんだけど、あげるね」

と、苦団子をカオナシの開いた口に投げ込みます。

そのとたん、カオナシは苦しみだし、従業員など飲み込んだものを吐きだしながら千尋を追いかけます。

 

銭婆の家からの帰り、ついにハクは自分の名前を思いだす

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すっかりお腹のものを吐きだして大人しくなったカオナシと、坊が変身したねずみ、湯バードが変身したハエをともなって、千尋は電車で銭婆の家を訪れます。

釜爺から「あの魔女はこえーぞ」と脅されてきたけれど、銭婆は穏やかに千尋たち一行を迎え入れます。

銭婆「あれ? 守りのまじないが消えてるね」

千尋「すいません。あのハンコに付いてた変な虫、あたしが踏みつぶしちゃいました」

銭婆「踏みつぶした? あっはははははは。あんたその虫はね、妹が弟子を操るために竜の腹に忍び込ませた虫だよ。踏みつぶした! はっはははは」

銭婆は愉快そう。

「おまえを助けてあげたいけど、あたしにはどうすることも出来ないよ。この世界の決まりだからね。

両親のことも、ボーイフレンドの竜のことも、自分でやるしかない」

ここでの銭婆の言葉は、とても重要です。

「すべて自分でやるしかないのが、この世界の決まり」

これは本作品のテーマにつながる言葉ですね。

「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで」

続くこの言葉も、この先の展開において、とても重要な意味をもちます。

そこにハクがやってきて、千尋とねずみの坊、ハエの湯バードをともない油屋に帰ります。

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白竜の首に乗り角をつかんで、月の輝く夜空を飛んでいるとき、ふいに千尋はお母さんから聞いた幼い日の出来事を思いだします。

「ハク、聞いて。お母さんから聞いたんで自分では覚えてなかったんだけど。わたし小さいとき川に落ちたことがあるの。

その川はもうマンションになって、埋められちゃったんだって。

でも、今思い出したの。その川の名は、その川はね、コハク川。あなたの本当の名は、コハク川」

銭婆の言うとおり千尋もハクも、一度あったことは忘れていませんでした。ただ、思いだせないだけだったのです。二人はこの世界で出会った最初のときから、お互いがお互いを知っていることを忘れていなかったのです。ただ、ちょっと思いだせなかっただけなのです。

白竜の目が大きく見開かれ、ガラスのように透明なうろこがばらばらと剥がれ落ち、ハクは竜の姿から人の姿に変わります。

「千尋、ありがとう。私の本当の名は、ニギハヤミコハクヌシだ」

二人は手を取り合ったまま空から落下し、海に落ちる寸前にまた明け方の空に飛び上がります。ここ、とてもきれいなシーンですね。いつもは少しきつい目をしたハクが、このシーンでは優しい表情です。

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早朝の油屋の前では、湯婆婆がハクの帰りを今か今かと待ち構えています。

「この中からおまえのお父さんとお母さんを見つけな。

チャンスは一回だ。ピタリと当てられたらおまえたちは自由だよ」

豚の群れにじっと目を凝らす千尋。そして、あれっ? と意外そうな顔をして言います。

「おばあちゃんだめ、ここにはお父さんもお母さんもいないもん」

大正解でした。

最後

こうして千尋は自由の身になりました。ハクと千尋は手をつなぎ、元来たトンネルを目指します。途中でハクは立ち止り言います。

ハク「私はこの先には行けない。千尋は元来た道をたどればいいんだ。でも決して振り向いちゃいけないよ、トンネルを出るまではね」

千尋「ハクは? ハクはどうするの?」

ハク「私は湯婆婆と話をつけて弟子をやめる。平気さ。本当の名を取り戻したから。元の世界に私も戻るよ」

千尋「またどこかで会える?」

ハク「うん、きっと」

トンネルの前には両親がちゃんと人間の姿でいて、手を振っています。ほっとする千尋。と同時に、残してきたハクのことが気になり、一瞬、振り返ろうとします。けれど、すぐに「決して振り向いちゃいけない」というハクの言葉を思いだし、気持ちを押しとどめて前を向き、千尋はトンネルを抜けます。

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トンネルを通って元の世界に戻ると、車に落ち葉がつもり、シートにも埃がたまっています。振り返ると、行くときには朱塗りの建物の真ん中にトンネルがあいていたはずなのに、そこにあるのは石壁に石造りのトンネル。まったく様子が変わってしまっています。名残惜しそうにトンネルを見つめる千尋。家族は新居に向かって車を走らせます。

木村弓さんが歌う主題歌「いつも何度でも」がかかりエンドロール。

 

ラストについてのちょっとした考察

「そもそも宮崎駿さんはしゃべりすぎる!」

いろいろ調べているうちに、名前は失念してしまったのですが(失礼!)とある作家さんがこう書いていました。

これ、同感です!

作品って、公開してしまえばもう作り手を離れて一人歩きします。「千と千尋の神隠し」でも、ラストにハクがどうなったのか、いろんな推測が生まれるのは、それだけ観客がこの物語を愛しているから。ある人は「きっと八つ裂きにされたに違いない」と悲しみ、ある人は「いや、きっとハッピーエンドだ。そうあってほしい」と願います。それぞれのラストがあっていいと思うのです。

そこに作り手側が「あの後、ハクと千尋はこうなったんですよ」なんて説明するのはヤボというもの。せっかくいろいろ考えようとしている観客の楽しみを奪うようなものです。たとえ作り手側がぜんぜん意図しないラストを観客が考えたとしても、それは仕方のないことです。

ジブリの公式ブログでハクのその後が書いてあったけれど削除された。

千尋たち親子が新居について、近所を散策していた千尋が小さな川にさしかかり、なにかを感じるラストがあったけど、なぜか今はなくなってしまっている。

これらの噂がもし本当のことだとしたら、きっと宮崎駿監督自身が、もしくはジブリサイドのどなたかが「説明しすぎだな」と思って削除したのではないでしょうか。

観客の想像にまかせるところがなければ、余韻は残りませんからね。

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「千と千尋の神隠し」の感想

少女が非日常の世界に入り込むという設定は「不思議の国のアリス」のようです。実際、海外の方の多くは「日本版不思議の国のアリス」と感じたようです。でも、それだけでこれだけの興行収益を出し、日本のみならず海外でも絶賛されたわけではありません。ここに、まぎれもない「日本」があるから。ユーモラスだったりグロテスクだったりしながらも、どこか憎めない登場人物たちがたくさん登場して、きっちりとメッセージを伝えてくるから。

小さい子なら、ただおもしろく楽しめるでしょうし、大人になればさまざまなことに気がつき深く考えることができる。どんな人が、なんど観ても楽しめる奥深さをもっている。素晴らしい作品だと思います。

最後に、アメリカでもっとも著名で信頼される映画評論家の一人ロジャー・イーバート(Roger Joseph Ebert)さんのアメリカでの公開当時2002年のレビューを紹介しましょう。

宮崎監督の『千と千尋の神隠し』は『不思議の国のアリス』と比較されてきた。実際『千と千尋の神隠し』は不思議な生き物と不道理な規則が支配する世界に迷い込んだ10歳の少女の物語だ。しかし、『千と千尋の神隠し』はうっとりするような魅力的な独自の世界を描き、良いハートを持っている。これはここ数年でベストのアニメーション映画であり、ディズニーのアニメーターにとっては神にも等しい日本人監督、宮崎駿の最新作である。

多くの大人が日本のアニメ映画を見ることを理由もなく避けているので、再確認から始めたい。『千と千尋の神隠し』はJohn Lasseter(『トイ・ストーリー』)によって完璧に英語に吹き替えられており、ベルリン国際映画祭の一般映画を対象とした最優秀賞を共同で受賞した。日本の興行成績においてタイタニックを抑え史上最高となり、米国建国以来初となる2億ドル以上の売上を達成した最初の映画となった。

ちょっと宣伝ぽくなってしまったかも知れないが、参考情報として指摘させていただいた。これは素晴らしい映画だ。あなたが日本のアニメーションについて知っていると思っていることで『千と千尋の神隠し』を避けるのはどうかやめていただきたい。もしあなたがディズニーアニメしか見ないと決めていたとしても問題ない。この映画はディズニーによって配給される。

宮崎監督作品(『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『もののけ姫』)は、米国のアニメーションにしばしば欠けている深淵さと複雑さを有している。コンピュータを嫌って、彼は数千のフレームを自分で描いた。彼の仕事には絵画的な豊かさがある。彼はスクリーンの端まで無駄に緻密に描画することで有名である(アニメーションはあまりに手間が掛かるので、必要以上の描画を行うアニメータは少ない)。躍動感溢れるアクションと愛らしく時にグロテスクなキャラクタにパンクチュエーション(句読点)を与える静寂と熟考を活用している。

『千と千尋の神隠し』は10歳の少女である千尋(声:Daveigh Chase)の目を通して語られ、『もののけ姫』に比べてより個人的でささやかだ。ストーリーは千尋が両親と旅行しているところから始まる。彼女の父親は愚かにも森の中の不可思議なトンネルの探索に家族を誘う。トンネルを抜けた先には、父親がテーマパークの残骸だと推測した施設があった。しかし屋台はまだ営業しているようで、両親が無断で座り込み食事している間に、千尋は外に彷徨い出て、湯屋がそびえ立つこの映画が描く不思議の国にたどり着く。

ハクという名の少年は千尋を手助けし、湯屋を経営する魔女、湯婆婆が千尋の名前、ひいては自己を奪おうとすると警告する。湯婆婆(声:Suzanne Pleshette)は大きな顔のしわくちゃの老婆で、ちょっとToby mugに似ていて、坊という名のグロテスクな巨大な赤ん坊を溺愛している。『となりのトトロ』のように足元を走るススワタリが生息する建物に迷い込んだ千尋に対して、湯婆婆は不吉にも新たな名を与える。

その建物の内部で、千尋は釜爺(声:David Ogden Stiers)が切り盛りするボイラー室にたどり着く。釜爺はきちっとした上着を着ていて、途方に暮れるほど変化に富んだやり方で8本の手足を駆使する。最初、彼は彼が支配する世界と同様に恐ろしく見えたが、彼には良いところがあり、湯婆婆の味方ではなく、千尋の良さを認めてくれる。

もし湯婆婆が登場人物のなかで最も恐ろしいとするならば、釜爺は最も興味深い。オクサレ様は最も切迫したメッセージ性を有する。オクサレ様は川の神であり、身体は永年にわたって川に捨てられたガラクタや廃棄物、ヘドロと同化していた。ある時には、オクサレ様から捨てられた自転車が出てきた。私は『となりのトトロ』で無駄に緻密に描かれたシーンを思い出した。そこではある子供が泡立つ小川を覗き込んでいて、川底には捨てられた瓶があった。何の意味もなく、何の意味も必要ない。

日本の神話では、身体の外見が本質を表し、しばしば人や物の姿が変化する。アニメーションはまるでその変化を描写するために発明されたかのようで、宮崎監督はここでキャラクタを摩訶不思議にあやつる。千尋が最も驚いたのは、彼女の両親がフリーランチに歓声を上げた後、豚に変化したことだった。オクサレ様は大量のヘドロと捨てられたゴミを取り除かれて真の姿に戻る。実際、湯屋全体は中に住むものの外見と性質に作用する魔法の効力下にあるようだ。

宮崎監督の描写スタイルは、日本の古典的な画家の作風を受け継いでおり、巧みな色遣い、明確な線描画、リッチなディテール、そして空想的な要素のリアルな描写に支えられている。彼はキャラクタの外見だけではなく、その本質までも描画している。仮にストーリーやセリフを全部除いたとしても、『千と千尋の神隠し』はそれ自体が素晴らしい体験だ。これは本年ベストの映画の一つである。

Spirited Away Movie Review & Film Summary (2002) | Roger Ebert

 

いずみいずみ

何度振り返ってみても素晴らしい作品ですね! いずみでした♪