映画「風立ちぬ」で注目を浴びた堀越二郎

宮崎駿監督の最後の長編作品となったスタジオジブリ「風立ちぬ」。

本作品は著者堀辰雄の「風立ちぬ」という原作をベースにして描かれた作品であります。この映画の主人公である堀越二郎は実在の人物をモデルとされています。(宮崎駿監督作品でいえば、「ハウルの動く城」も原作をベースに描かれていました)

 

その人物である堀越二郎とは実際にどのような人物であったのかを紐解いてみました。

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堀越二郎のプロフィール

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二郎は1903年6月22日に群馬県藤岡市に生まれます。

映画同様、頭脳明晰で中学校、高等学校を主席で卒業し、現在の三菱重工業(当時は三菱内燃機製造)に就職します。その後、二郎は職場において頭角を現し、入社5年目にして設計主任に抜擢され七試艦上戦闘機、九試艦上戦闘機の設計を行い、そして後に「零戦」と呼ばれるようになる零式艦上戦闘機を設計します。

 

映画ではこの零戦の設計で物語は終わっていましたが、戦後も二郎は飛行機のさらなる改善を追求し、また航空機事故の原因解明に尽力を尽くすなど、まさに飛行機に自分の人生を捧げています。

飛行機にまつわるエピソードは映画と重なる部分も多いですが、家族からみた二郎の話などによれば映画の二郎と、実在の堀越二郎の性格には違いがあったようです。実際の堀越二郎は映画のような劇的な恋愛を経ての結婚ではなく、お見合い結婚でした。

 

そして結婚後に六人の子ども設けています。

子ども達からみた父親像では、実在の二郎は映画のようなロマンチストではなかったそうです。また子どもに対してはスパルタ的な一面もあったそうですが、基本的には子ども思いの良き父親で、常識にとらわれず、子ども達のやりたいようにやらせる理解ある父親として慕われていたとのことです。

二郎は1982年に死去。享年78歳で飛行機人生を全うした幕を閉じています。

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実在の零戦設計者

堀越二郎は三菱重工業に勤め、様々な艦上戦闘機の設計を行ないます。

映画同様、周りから評価された二郎は航空機技術を磨くために会社からヨーロッパとアメリカへ1年半ほど派遣されます。このことからみても二郎が映画同様優れた才能を持ち、さらに向上的であったがかが窺えます。

 

後に設計を任された七試艦上戦闘機は失敗に終わりますが、さらに改良を加え九試艦上戦闘機を設計。また映画にも話に出て来た沈頭鋲は、堀越二郎が日本で初めて全面的に戦闘機へ施行しました。その後1937年より後に零戦と呼ばれるようになる十二試海上戦闘機を設計し始めます。

この零戦を設計する上で、海軍からはかなり高いリクエストを要求されたのに対し、二郎はその要求をクリアするためには他の性能を犠牲にする必要があると真っ向から対立します。

 

しかしやがて二郎は出来る限りの要求をクリアするべく零戦の設計に臨みました。その後、設計からは外れますが、雷電、烈風と製作に携わり、日本の戦闘機躍進に大きく貢献しました。

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映画での描かれ方

実在の堀越二郎をベースにされた宮崎駿監督「風立ちぬ」の主人公である堀越二郎は、天才肌でありながら純粋無垢で飛行機作りに一生を捧げながら、人生の伴侶となる菜穂子に惹かれ、そして菜穂子のことを思いながらも飛行機作りの日々に没頭しています。

しかし実在する堀越二郎は同じく飛行機作りに没頭し、仕事に対して一途でありながらも、菜穂子とのように描かれた劇的な恋愛劇を送ったようではなかったようです。

 

実在の堀越二郎はお見合い結婚をして、妻と6人の子どもを設けるなど、子宝に恵まれた人生を送っています。

このことから宮崎駿監督は実在の堀越二郎に「菜穂子」という愛するべき人物を登場させて、二郎の女性に対する部分プラスさせるよう脚色したのではないかと考えられます。

 

また映画の二郎は実在の二郎よりも純粋に飛行機の美しさに見とれている部分が強調されているように思います。ドイツ研修時においてや、職場での若手との意見交換の際の二郎は「保自分が本当は戦闘機ではなく、美しい飛行機が作りたいのだ」という思いが顔を覗かせていて、二郎の純粋さが強調されるよう描かれていることが考えられます。