三鷹の森ジブリ美術館の館長からアニメーション監督へ。父、宮崎駿と同じ道を歩むことになった宮崎吾朗の監督人生は、想像していたとおり、最初からいばらの道だった。

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そもそも宮崎吾朗に才能はあるのか?

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宮崎吾朗に「ゲド戦記」の監督に白羽の矢を立てたのはスタジオジブリの鈴木敏夫だ。

いくら鈴木の推薦とはいえ、「アニメ制作経験ゼロの吾朗に監督ができるわけがない」と宮崎駿は激怒し、ジブリのスタッフの間でも反発はあった。

 

あるインタビュー記事で、宮崎吾朗が父のアニメ作品をよく見ていたと語っていたのを思い出した。子供頃から絵を描くことは好きだった。吾朗が描いた「ゲド戦記」の絵コンテを見た大塚康生(東映動画時代の宮崎駿の上司で、日本のアニメ創成期から第一線で活躍)は、父親譲りの絵の才能に驚いたという。

まず吾朗はスタッフとのコミュニケーションに重点を置き、少しずつスタッフとの信頼関係を築きあげていった。

当時、すでに宮崎駿はアニメ界の巨匠になっていたので、監督経験のない吾朗との映画作りは新鮮で、スタッフも吾朗から刺激を受けていい相乗効果が生まれたと、のちに鈴木敏夫は語っている。

散々だった監督デビュー作 真価を問われた監督第2作

2006年に公開されたデビュー作「ゲド戦記」の評価は最悪だった。

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“ジブリアニメにハズレなし”—の方程式が崩れた作品と多くの映画評論家が酷評し、映画雑誌はその年の“最低作品”に選んだ。それでもその年の邦画興行収入では1位(76.5億円)だったが、観客のなかには、ジブリの最新作を見るというより宮崎駿の息子に「アニメーション監督としての才能」があるのかを確認しに劇場へ行った人も少なくはなかっただろう。

また、原作者シュラ・クローバー・ル=グウィンの評価も芳しくなかったらしく、散々な監督デビューとなった。

「ゲド戦記」から「コクリコ坂から」へ

監督第2作目「コクリコ坂から」は、「ゲド戦記」から5年後の2011年に公開された。

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原作は同名少女漫画で、1960年代の高校生の男女のラブストーリー。

宮崎駿が長年映画化を検討していたが、若手登用を考えていたスタジオジブリが吾朗を起用。“監督の本当の進化が問われるのは2作目”と父・駿に激励(?)されたせいか、酷評された「ゲド戦記」からの成長も十分評価されて評判も上々。作品もヒットし、2011年度興行収入邦画第1位(44.6億円)だった。

ちなみに、「ケド戦記」で主人公アレンの声を担当したV6の岡田准一が本作でヒロイン・海(声は長澤まさみ)の相手役を務めている。

アニメを「映画」にした偉大な父、宮崎駿

宮崎駿

テレビのニュースやバラエティ番組で、外国人に「あなたが知っている日本の有名人」というアンケートを行い、黒澤明監督と並んで名前があがるのが宮崎駿だ。

「千と千尋の神隠し」(2001年)で米アカデミー賞長編アニメーション賞をはじめ世界各国で数々の賞を受賞し、名実ともに世界のアニメの巨匠と称される存在になった。2013年、「風立ちぬ」を最後に長編映画からの引退を発表したとき、日本のみならず海外でもトップニュースとして取り上げられたのは記憶に新しい。
昔、アニメは子供が見るものというのが常識だった。手塚治虫が初の国産テレビアニメ「鉄腕アトム」を誕生させ、アニメは大人も楽しめるものに変わった。1988年公開の「となりのトトロ」が、キネマ旬報の「日本映画ベストテン」で実写映画を抑えて第1位に選ばれたとき、宮崎アニメは“映画”になったのだ。

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そして、これから宮崎吾朗は…

じつは昔、宮崎吾朗本人と会ったことがある。

正確には「ゲド戦記」の宣伝キャンペーンの会場で取材対象として会ったのだが、そのときの印象は“背が高く目鼻立ちもはっきりしていて、父親よりもいい男”。

監督としての才能の有無はわからないが、自分の考えをしっかりと持った大人の男性だなと好感を持った。だから、宮崎駿と比べられるのは最初から分かっていたことだとしても、その後の酷評やバッシングは気の毒でならなった。

 

アニメ制作未経験でありながらよくここまでまとめたなと思ったし、2作目の「コクリコ坂から」は演出も洗練され監督としての成長の跡を確認することができた。2014年には初のテレビアニメ監督作品「山賊のむすめローニャ」(NHK)を手がけ、着実にアニメ監督として成長している。

吾朗が宮崎駿の息子という事実は変わらないわけだし、そうでなくても宮崎駿を超える才能がそう簡単に現れるとも思えない。それなら偉大な父のDNAを受け継いだ息子を応援して、素晴らしい作品を作ってもらったほうがいいに決まっている。

宮崎吾朗さん、新作待っています。