うっちーうっちー

こんにちは!今回は鈴木敏夫プロデューサーの人物像に迫ってみました。

鈴木敏夫
プロフィール:1948年、愛知県名古屋市生まれ。 慶応義塾大学卒業後、1972年に徳間書店に入社。アニメ雑誌「アニメージュ」の創刊に参加。『風の谷のナウシカ』を機に映画製作へ。1989年スタジオジブリ専従。株式会社スタジオジブリ代表取締役、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団副理事長。

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プロデューサー・鈴木敏夫の誕生まで

映画少年だった子供時代

両親が大の映画好きで、父親が邦画、母親が洋画に連れて行ってくれた。最低週1回、当時は2本立ての上映で年間100本は見ていたと言う。それが高校3年生まで続いた。映画プロデューサーへの道は、子供時代から始まっていた。

悩んだ就職活動、そして徳間書店へ

大学時代はアルバイトばかりしていた。自分は何が好きなのかわからず、就職が決まっていないのは自分を含め3人になっていた。そこで、何をやりたいのかではなく、自分にできることをやろうと考える。原稿書きのバイトをしていて自信もあったので新聞社を受けるが、すべて不採用。ある日、徳間書店の募集が出ているのを見つけ、面接で「週刊誌を読んだことがあるか」と聞かれ、「ない」と答えて怒られるが、なぜか合格する。

アニメ専門誌「アニメージュ」創刊

徳間書店入社し、「週刊アサヒ芸能」に配属される。その頃から、自分が誰かの手助けをする仕事に向いているんじゃないかと漠然と思い始める。

入社6年目、先輩の編集長から「アニメ雑誌の創刊を手伝ってほしい」と頼まれる。発売日が5月末、話を聞いたのが5月のGW明けで、アニメのことは何も知らない。鈴木はアニメファンの女子高生に一日中話を聞いた。アニメファンの興味があるのは“キャラクター”だということに気づき、キャラクター中心の雑誌にしようと決める。1978年「アニメージュ」が創刊。鈴木は2代目編集長に就任。

宮崎駿&高畑勲との運命の出会い

鈴木はやお

「アニメージュ」の創刊号で「太陽の王子ホルスの冒険」を取り上げ、高畑勲に電話で取材を申し込むが断られる。なぜコメントしたくないのかと1時間ほど語られ、高畑から宮崎駿を紹介されるが、自分は話したいことがたくさんあるからページを16ページくださいと言われる。これが最初の出会い。

後日、「太陽の王子ホルスの冒険」を観た鈴木は、アニメーション映画の持つ可能性に驚く。早速会いにいくが、最初はまったく相手にしてもらえず。ちょうど「ルパン三世 カリオストロの城」の製作中で、映画が完成するまで毎日会いに行った。「僕は二人の作品が大好きだった。ほかの人作品は好きになれない」―この出会いはまさに運命だった。

「風の谷のナウシカ」からスタジオジブリへ、映画プロデューサー・鈴木敏夫誕生

1982年から連載を開始した宮崎駿の「風の谷のナウシカ」の映画化が決まり、製作を支える。1985年徳間書店の出資によりスタジオジブリが設立。「天空ラピュタ」「となりのトトロ」「火垂るの墓」の製作関わり、1989年にスタジオジブリに移籍。その時の心境を『作家がいて、作品が出来るのを待つならいままでもやっていたわけだし、なんとかなるのかなと思ったんですよ。つまり、プロデューサー=編集者と考えたわけです。』と語っている。

鈴木敏夫のこんなお仕事

「火垂るの墓」の誕生は鈴木がきっかけ

最初は、戦争とは関係なく活き活きしている子供を描こうということだった。ところが、いい原作に巡り合えず、鈴木は学生の頃に読んだ野坂昭如の「火垂るの墓」を思い出す。しかし、当初の方向とまるで違うし、高畑に言い出しにくいと思ったが、言ってみたらトントン拍子に「やろう」ということになる。

「火垂るの墓」は「となりのトトロ」と2本立てで公開。鈴木いわく、“とてつもない暴挙でした”。

映画のヒットは宣伝次第

最初に関わった「風の谷のナウシカ」は、いいものができればという思いで作った。しかし、クオリティが高くなればなるほど制作費はかさむ。公開してもお客が入らなければ意味がない。そこで鈴木は「魔女の宅急便」の製作に入ったとき、日本テレビに宣伝協力を頼みに行く。「魔女の宅急便」は大ヒットし、協賛会社を募り、大々的に宣伝していくスタイルを作り上げた。

宮崎駿の息子・吾朗の監督起用

ジブリの最大の悩みは、若手監督が育たないことだ。起用しても宮崎駿があれこれと口を出し、ストレスから体調を崩してしまうことがなんどもあった。そこで考えたのが息子・吾朗の起用。ジブリ美術館の館長で、宮﨑駿のイメージ画から設計図を起こして美術館を作り上げた。美術館を作れるなら映画も作れるんじゃないかということで、吾朗に白羽の矢を立てた。

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まとめ~鈴木敏夫について思うこと~

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に鈴木敏夫が出演していた番組を見た。

ジブリ作品は巨大なお金が動く。映画が成功しなければ協賛会社も恩恵を受けられない。そしたら次の作品を作ることができなくなる。すごい仕事だなとつくづく思う。

鈴木は、仕事は公私混同でやったほうがいいという。だから映画作りに全員を巻きこむ。

「自分が最初に思いついたことを紙に書く。それをしまっておく。そしていろんな人に聞いてみる。いろいろ聞きすぎてわからなくなってきてしまう。そんなときその紙を出す。そしたら、自分のやろうとしたことを別の言い方でいうとこれなんだってわかるんです。」

NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」より

決断を下すのがプロデューサーの仕事。そのためにいろんな人の話を聞く。宮崎駿の話を聞く。ジブリ若手スタッフの話を聞く。けして相手の話を否定せず、ポンとひとこと言葉を投げかける。そこから返ってきた言葉を聞いて、自分の中の何かが明確になる。その瞬間の顔を見たとき、この仕事が本当に好きなんだなと思った。

うっちーうっちー

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